1942年作、アメリカ映画。監督はサム・ウッド。ゲイリー・クーパー(ルー・ゲーリッグ)、テレサ・ライト(妻、エレノア)、ベーブ・ルース(本人役)、ウォルター・ブレナン(スポーツ記者、サム・ブレイク)、アーニ・アダムス(監督、ミラー・ヒギンス)他。
1903年、ニューヨークの貧民街でドイツ系移民の両親の元に生まれる。ルー少年は、将来メジャー・リーグの選手を夢見る。しかし、母親は息子が建築家を目指すことを望んだので、名門コロンビア大学に進学する。
大学に入学して、野球・アメリカンフットボールにとスポーツに高い才能を示すのだった。この学生時代から、ルースは憧れだった。投げてはエース、打撃では中心バッター。スポーツ記者のサム・ブレイクはその素質を認め、ヤンキースの監督に紹介する。最初は乗り気ではなかったが、父親が病気で倒れたことがきっかけで、大学を中退して入団。
プロ入り2年間はマイナー・リーグ、レギュラー選手が故障の為スタメンとして出場したことでチャンスを掴む。憧れのルースと共にスタメンに並ぶ。たちまちに、人気選手となる。やがて、妻となるエレノアと知り合う。
1927年、ヤンキースはパイレーツとワールド・シリーズ。「マーダラーズ・ロウ(殺人打線)」と呼ばれる強力打線で4連勝で優勝。翌1928年、セントルイス・カージナルスとワールド・シリーズ。これも4連勝。そのある試合に、ルースはホームランを1本、ゲーリッグは2本かっ飛ばす。試合後、エレノアから「ラブ」との電報を受け取り、ゲーリッグは即プロポーズ。5年後、二人は結婚。以降、2130試合連続出場の記録を立てる。
1939年、「鉄の馬」と呼ばれた男は、ルー・ゲーリッグ病と云われる「筋萎縮性側索硬化症」に罹る。意識には問題がないが、極端には飲み込むこと話すことが困難になり、急激な体機能がマヒする難病。これで引退を余儀なくされる。7月4日、ヤンキー・スタジアムで引退式。「私は地上で最も幸せな男です」とコメントを残す。6万2千人の大観衆は、こぞってスタンディング・オベイション。
高校時代、英語のリーダーの教科書に彼の伝記。その後、この映画を観る機会に恵まれた。スポーツ・ヒーローの爽やかさに感動の映画でした。